外出の一日

今日久しぶり(約2ヶ月ぶり?)に7,000歩以上歩いた。

実は2月末で仕事を実質辞め、殆ど在宅の日が続いていて妻やかかりつけ医からは運動の奨励をされていました。なかなか自身の足腰の痛みを口実に外出をせず、自室の整理整頓等テレビ視聴も含め閉じこもり生活をしていました。

ここ数日の本格的な春の陽気否それ以上の夏?のような天候にやっと近所の散策に出かける決意が出、昼頃から近所のマンションや分譲住宅街、小学校の正門前、校庭内には子供たちの野球姿を横に見てそして整備の行き届いた長池公園の外回り道路沿いの歩道をゆっくり歩を進めた。

そのうち私の後方からいつも歩いていると思われる私とほぼ同年齢らしきすらっとして軽快な雰囲気の男性にいとも簡単に追い越され、昨日家で見た「歩行の根本姿勢の携帯画面」を想起しながら彼の人に追いつこうとしました。しかし普段の行いの相違は争えずその間隔は益々拡がるばかり。途中、公園の吾妻屋作りのベンチで一休み家から持ち出したペットボトル入り青汁を飲む。すると春の陽光の中その木製の吾妻屋根を1、2匹の蜂(花熊バチ?)が旋回、巣作りの準備かと思われた。

そしてその細長い公園内を歩き公衆トイレに入り小用を足した。疲れを感じたせいもあり休み場所を探すべく見回したが、生憎目の届く範囲にあるベンチには先客のそれも同類と思しき高齢男性が陣取ってスマホを触っていた。

仕方なく近場にあった、公園の砂場などに良くある半円の数段階段のステップの一段にしゃがみ、昨日ネット購入したばかりのkindleで、先般亡くなった伊集院静「それでも前に進む」の続きを読む。私と同年のこの人は私の感性と共鳴しあう。好きな作家の一人である。

 

仕事なしの一日

パート的仕事も今日でとうとう終わりを迎えました。4月11日 退職日。

年々日本に於ける平均寿命は少しずつ延びていると思われますが、ここ数年の少子高齢化働き方改革=AI技術の進展により否応なしに労働環境の変化に直面している=により、私を含む多くの勤労者が健康的か否かに拘わらず高齢?65才以上?でも働いています。

私は、この3月で継続的仕事を77才で辞めました。

理由は体の柔軟性が損なわれ1・2年前の様に満足いく仕事が出来なくなってきた。

二つ目は、義甥の急逝(53歳の 同じ心筋梗塞による早世)を1月に経験したことによりいつ天寿を迎えるか判らないと考えたこと。

終活という言葉は好きではないですが、死に方に少しばかり気持ちを反映してきている現況があります。